本心から『怖い』と思えるような事は今まで味わったことがなかった。







もしそうなったとしてもどこかで自分は大丈夫だと思ったりしていたし。





守られている存在だと把握していなかったのか、
何かに負けたくないと思う反発心なのか、
それとも想像力の欠如。。。だったのかもしれない。







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その場に他の誰かがいたって、
どんなに上手く説明してもあの時の思いを教えようとすることは無理なんだ。



結局自分しか分からない。


自分がその場に立ったあの時、
目の前の視野は極端に狭くなり何かを考える事など出来なかった。



無意識に動く足。
ただひたすら走った。

追いかけてくる人から、或いは置いてきてしまった人から−

夜だから暗くて辺りがよく見えなくて、
こんなに必死に走っても追いつかれてしまいそうな感覚。






「ハァハァ。。。ハァ。。ゥッ!!!」





急に何かに足をとられ力なく崩れ落ちる膝。
反射的に地べたについた手にズキンと響くような痛みが奔る。


「い、、、た、ッ」


目の前には折れた剣の柄。
きっと砕けた破片が掌に食い込んだのだ。




剣が、、、落ちている。
折れた剣が・・・・・。
戦いがあった証拠、自分が知らなかった現実。

ゾッとする寒気を背に感じる。
嫌な予感しかしない。
何も見ずに走り出した方がまだ理性は残ったかもしれない。
でも、足が動かない、手も痛くて動かせない。
だから下ばかり向いていた目線を恐る恐る上げてゆくしかなくて。


「、ハ、、、あ、、、、、、、、ァ。。」


まるで祖父から昔話のように聞かされた世界が辺りに広がっていた―

振り返ったそこには動いていない人の形をした何かがある。
まるで人形、そんな風にしか見えなくて。
ちょっと前までは私と変わらない人間だった筈なのに。


だから―――怖い。



「嫌。。。。。いや、、イヤ・・・」

なりたくない。。。同じになりたくない。
きっとこれは夢なんだ。悪い夢。そうに違いない。


目が覚めればきっと、昔と変わらない毎日が・・・・ある。。。。


「何で、、、こんな目に。。。ッ、、もう、、、嫌、、、イヤッ!!!!」

辛い思いをして、痛い思いをしてここまで来たのにもう何もかも遅かった。

涙で霞む視界。いっそ子供のように泣き叫んで誰かに見つかって
どうせなら消えた方が、今やこれからを考えるよりも楽になれるんじゃないかって―――




そう思えてきて諦めたように目を瞑って空を仰ぐ。





近くに人の気配がする。


きっとこれで私も。。。。







阻喪とした意識を破砕する一声。閉ざした心の扉を打ち破り私を射抜く―





「立て!!!!!死を選ぶな!」




突然聞こえた恐ろしいほど体の芯に響く声に
の体はビクリと跳ね上がった。

その声に覚まされるように瞳を見開けば、目の前には男が一人立ちはだかっている。
さっきの声の主ではない。だって私を殺そうと剣を頭上に構えているのだから。


「―――――-!!!!!」


血の気が引いていくのが判るくらいの恐怖が押し寄せてくる。



声も出ない、身体なんてとっくの前に動かない。

剣も使えない、
魔法も使えない、
何も。
何も。。
出来ない。



今度こそ本当に、もう私は駄目なんだと思った。





でも――また、、、、、、、聞える。

私を奮い立たせるあの声が−−




「諦める事など許さんぞ!!」



声の直後、髪を靡かす風とともにとドスリと鈍い音がした。





の頭上を掠めたのは細い線のように残像を残した弓矢。
それは私の目の前の男に突き刺さり、その体は揺らめき始める。

相手の最後の攻撃。
力なく落とされる剣でも私を殺すには十分過ぎる。
鋭い剣先が徐々にへと近づいていった。


「――――ッ・・いゃッ!」

絶えられず目を強く瞑った
そしてまた金属がぶつかる音と共に聞こえる何かが割ける音―

見えなくても分かる。今、目の前で何が起こっているのか。
人の叫び声がしてもそれが私ではないんだから。
私が生きて誰かが死んだ。
そして後ろ背に感じる誰かが私を助けてくれたんだ。










「間に合ったようだな」
「ああ、何とかな」
「彼女は?」
「無事だ」
「そうか」




俯いていた目の前に誰かがしゃがみ顔を覘きこむ。

「君、怪我はないか?」

「。。。。。。。。。あ・・・」

「辛い思いをさせて済まなかった」

「早く行くぞ。ここにいてはまた奴らが来るかもしれん」

「乱暴ないい方はよせ。彼女が怖がってしまう」

「どの道それだけ震えていては歩けるわけがない」

「だが置いてはいけない」

「いい加減にしろバッシュ、俺達は国王騎士団将軍だぞ!お前だけでも先に行け」

「だが―」

「その女は俺が連れて行く。どの道、この部隊の状況では持たん。一度後退する」

「そうか、、、、ならば先に行く。頼んだぞ」

「ああ、すぐに追いつく!」





目の前にいるバッシュと呼ばれた人は私に優しく微笑むと
その身を翻しその場を去っていった。



「行くぞ」

立ったままの姿勢で私に手を差し出した名前のわからぬままの人。
でもこの声はあの時の人。
バッシュと呼ばれた人とは似て非なる存在、そんな気がした。

「・・・・あ、、の」

「周りに敵兵はいない」

「・・・・・・ちが」

「・・・・・悪いが俺はあいつのように優しくはないぞ。
 それに、ここまで来る度胸があるんだからな。さぁ行くぞ」

グイッと掴まれ持ち上げられた腕。
体が強張り動いた掌に激痛が再来する。


「!―ィッ。。。痛い、ッ―」

「?!」

掴んでいた腕からずり落ち引っかかる様に手首で止まる。
そこで感じた滑る触感。
まさかと思い掴んでいた手を返すとその女の掌は真っ赤な血で濡れていた。

「何故言わなかった」

「。。。だ、、、、って」

私の返答に溜息をつきながらもその人は膝をついて赤くなったその手を見つめていた。

「だいぶ深いな。。反対の手も見せてみろ」

言われるがまま震えている反対の手もゆっくりと動かす。
ジクジクと痛む両手を相手へと向けた。

「破片が刺さったままでは傷を癒せん。少し痛いだろうが我慢しろ」

相手の了承など最初から求めてはいない口調。
思いっきり手首を強く握られ、間を置かずして掌に激痛が奔る。

「―ッィ・・・ッァ!!!」

必死になって自分の下唇をギュッと噛む。
痛みに耐えようと背中を丸めるようにして段々と下に落ちてゆく顔。
呼吸することさえ忘れるほどで、抜かれた破片が地面へと落ちる音を遠くで聞いた。


「これでいいだろう」

柔らかく温かな風が傷口を撫でるように包み込むと、
あっという間に痛みは消え去っていた。

「他に怪我はしてないだろうな?」

「は、、、、、、は、い。。」

「ならいい。。。。。。。。それと、これを使え」

血に濡れた掌に乗せられたハンカチ。
汚れのない綺麗な布が血液に侵食されるのを見て
焦るようにそれを相手に返そうとする


「いいから使え。行くぞ」

「え・・・!?」

地面近くにあった目線はさっきまでの自分を見下ろす高さまで突然上がったのだ。

「あの、、私ッ―」

「この期に及んで「歩けます」などと言うつもりか?」

「・・・・・・・そ、の」

「引き受けた以上は守ってやる。無駄に気を張るな」

「・・・・・・・・・・・・・」

「休んでいろ」

「―・・・ありがとう、、ござい、ま、す。。ッ」


手にしたハンカチを握り締めて唇と瞼をギュッと閉じる。
恐怖から開放された安堵と、人の優しさから感じる痛みに耐える為に―
















遠く遠く、本当は夢だったのだろうか。。。。。




それ以降の記憶が全く無いまま、目が覚めた時には
簡易的に作られた診療所のベッドの上だった。

「・・・・こ、、ここは・・?」

きっと張り詰めていた緊張の糸が切れて気を失ったんだと、
私を診察する医者が教えてくれた。


「あの!その時私を運んでくれた人を覚えていませんか?!」

「人の出入りが激しくてな。悪いが分からないよ」

「そう、、、、ですか・・・」

汚れたままのハンカチを見つめながら溜息をつく。

いつかこのハンカチを返せるときが来るだろうか。
名も知らぬ相手を探すツテさえもない。

あの日私は大事なものを全て失ってしまった。
どうでもよくなって自らを捨てようとするほどに。

―だから今はこの布一枚が自分にとって生きる希望になってしまった。







前バレンディア暦704年



―貴方に出会い、あの人の存在が私となった年―


生かされた事を理由に自らの存在意義を見出して。

だからこそ私は貴方の元へ行かなくてはならないんだ。